長年、救急隊員として現場の最前線に立ち続けてきました。
「命を救う」という崇高な使命感のもと、昼夜を問わず多くの出動に対応してきた私ですが、ある時から「このまま続けていけるのか」という疑問が心の中に芽生えはじめました。
体力的・精神的な限界、家族との時間、自身と家族の命を守るという視点、そして救急現場で抱いた矛盾と葛藤──。
それらすべてが重なり、私は大きな決断をすることになったのです。
この記事では、そんな私がなぜ消防という職を手放したのか、その本音を綴っていきます。
◆ 救急隊としての日々は、誇りと引き換えに命を削る毎日だった
救急出動は一日に何件も続き、昼夜問わず関係なく指令が鳴り響きます。
そのたびに現場へ向かい、時には危険と隣り合わせの中で判断と行動を繰り返す──。
その重圧の中で仕事をすることは、体にも心にも確実に負荷がかかります。
「この仕事に誇りを持っている」
それは今でも変わりません。
ただ、誇りを持ち続けるためには、あまりにも多くの“自分自身”を削り続けなければならない、そんな現実がありました。
◆ 一番守りたい「家族」との時間を犠牲にしていた
消防という職業は、大地震や大規模災害が起きた際には、真っ先に現場へ駆けつける使命があります。
それが当然であり、誇りでもある。
私自身もずっとそう思ってやってきました。
けれども、自分にとって一番守りたい「家族」という存在ができたことで、価値観は大きく変化しました。
大規模災害が起きたとき、自分の家族の安否すら確認できないまま他の誰かの元へ向かわなければならないという現実──その矛盾に強い葛藤を覚えるようになったのです。
かつて独り身の頃は、「それが消防の務めだ」と何の迷いもなく日々を過ごしていました。
ですが、家族ができてからは常にそのことが頭から離れず、勤務以外の日でも「これでいいのか」と自問するようになりました。
仕事としての責任感と、家族への愛情。
その狭間で、少しずつ自分の中に変化が生まれていったことは間違いありません。
◆ コロナ禍で気づかされた“未知のリスク”と家族への影響
決定的だったのは、やはり新型コロナウイルスの流行です。
あの時期、救急現場は一変しました。
発熱や呼吸困難といった症状の患者が急増し、出動するたびに「この人は感染しているかもしれない」という恐怖が常にありました。
感染経路も不明確で、どんな人が陽性かも分からない中、真っ先に患者に接触するのは私たち救急隊員です。
全身防護服を着て搬送する日々の中で、「自分が感染源になってしまったらどうしよう」という不安が頭から離れませんでした。
そして何よりも、
「家に帰れば家族がいる」という事実。
その大切な存在に、私の仕事を通して危険を持ち込んでしまう可能性がある──そう思った瞬間、胸が張り裂けそうになりました。
実はそれまで、どこかで「自分が感染すること」ばかりを考えていました。
でも家族ができてからは、「自分のせいで、大切な人に何かあったら」という不安の方が何倍も大きくなったのです。
コロナ禍を経て、私は改めてこの仕事の持つ“見えないリスク”と向き合うことになりました。
そして、そのリスクは「自分だけのものではない」という現実を痛感しました。
◆ 救急車の“使われ方”に感じたやるせなさ
現場に出る中で、緊急性のない要請への出動も数多く経験しました。
「なんでこんなことで救急車を呼ぶの?」と感じることも正直ありました。
もちろん、その人にとっては不安だったのかもしれません。
けれども、それにより本当に助けが必要な人の対応が遅れる可能性があるという現実があります。
一件一件を誠実に対応しながらも、どこかで心が疲れていく。
それがフラストレーションとして蓄積されていきました。
◆ 命を削る働き方に見合わない対価
救急出動は、身体的にも精神的にも大きな負担がかかる仕事です。
命に関わる対応を一瞬で判断し、時に暴言を浴びることもあります。
そんな過酷な業務に対して、私の勤務していた消防本部では「救急手当」が支給されていましたが、1件あたり数百円という金額でした。
聞いた話では、その救急手当さえ出ない消防本部もあるそうです。
ですので、そういった現場と比べると申し訳ない気持ちがあり、私たちはまだ恵まれていたのかもしれません。
それでも、自分の身を削ってまで命と向き合う職務に対し、この対価が本当に見合っていたのかと感じることは何度もありました。
お金のために働いていたわけではありません。
ただ、それでも「命を救う」という極限の現場に身を置いている者としてもう少しだけ評価されてもいいのではないか──そう思ってしまうのも正直な気持ちです。
この働き方をあと10年、20年と続けていく未来を想像したとき、肉体よりも先に心が壊れてしまう気がしてなりませんでした。
◆ 最後に──辞めたからこそ、気づけたもの
私は消防という職を離れるという決断をしました。
それは“諦め”や“逃げ”ではなく、自分の価値観と人生を見つめ直した末の選択です。
ただ、誤解してほしくないのは、私は決してこの仕事を否定しているわけではありません。
むしろ、今でも現場で命と向き合っている消防士や救急隊の方々には、心からの敬意と感謝の気持ちを持っています。
街中で救急車や消防車とすれ違うたび、
「ああ、今日もあの仲間たちは頑張っているんだな」
そう思うと、胸が熱くなります。
かつての私がいた場所。
過酷だけれど、確かに“誰かの命を支えている現場”です。
あの日々があったからこそ、今の自分がいます。
そして何より、家族の存在が私にとっての“生き方”を変えました。
守るものが変わった今、私は新たな道を選びましたが、心の中で現場を離れたつもりはありません。
この文章が、今同じように悩んでいる誰かの背中を少しでも押せたら──
そう願いながら、筆を置きます。
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